ミラノで救急搬送!絶体絶命の大ピンチ!

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我慢の限界

イタリアに来て数週間が過ぎた。

私は正直、日本を出てミラノへ来た時からあまり調子が良くなかったのだが、イタリア人の家主が用意してくれた薬や、知人に紹介してもらったミラノ在住の日本人女性が、わざわざ心配して自宅までおにぎりと味噌汁を拵えて届けてくれたお陰もあり、私はどうにかこの正体不明の体調不良に堪え忍んでいた。

当時、私は自分の身に起きている症状をネットで調べ、自分が一体どういう病気なのかを明らかにしたかったが、抱えている全身の倦怠感や関節痛、吐き気や食欲不振などの症状はインフルエンザでよく見られるものなので、それならじっと我慢をして、数日間この痛みに耐えれば自然と回復するだろうと思っていたし、何より海外で病院に行くなんて事になったら、幾らお金を請求されるかわからないという恐怖で一杯だった。

しかし、そんな願いとは裏腹に状況は一向に良くなることはなく、私は這い蹲るようにしてトイレへと向かい、ふと鏡に映る自分の顔を見た瞬間、いつもとは違う異変を感じた。

「あれ?私の肌ってこんなに黄色かったっけ?」と思わず声が出てしまうほど、顔や腕、お腹など全身がいつもより黄色味がかっているように見えたのだ。

生憎、鏡のあるバスルームの壁紙が黄色だった為、光が黄色の壁紙に反射して私も黄色く見えているだけなのかと思い直し、その日は深く考えずにベッドに入った。

しかし、次の日も次の日も自分の肌がどんどん不自然な黄色に変色している気がして、思わずイタリア人の家主に聞いてみたものの、毎日に寝込んでいてろくに部屋からも出てこないアジア人の肌の色など逐一チェックしているわけもない上に、私はいくら色白だとは言え黄色人種なので、ヨーロッパの生粋のイタリア人の彼からすると、私は病気であろうがそうでなかろうがいつだってイエローなんだと気付き、私は彼に自分の肌の色を確認することをやめた。

しかし、結局この症状は私の勘違いではなく、全身の皮膚や白目が黄色くなる「黄疸」という症状であったと後に知る事となる。

そして次の日、我慢強いことが取り柄であるこの私にも遂に限界がきた。みぞおち辺りに強い鈍痛がのし掛かり、酷い全身の倦怠感と痛みと気持ち悪さで、ろくに歩くことも出来ない状態となった私は、背に腹は代えられないと救急車を呼んでもらうことにしたのであった。

救急車と救急隊員

意識が朦朧としていて、果たしてどれくらいの時間救急車の到着を待ったのかは分からないが、間も無くして私が横たわる寝室に、救急隊員と思わしき若いイタリア人男性2人が部屋に入ってきた。

有難いことに、その場にミラノ在住の日本人女性が付き添ってくれていたので、ろくに会話すらままならない状態の私はただただじっと眉間に皺を寄せてベッドに蹲り、彼女が代わりに救急隊員らにイタリア語で状況を説明してくれた。

ここ何週間も痛みを我慢し続けてきた私の体力は既に限界で、“遂に私は救急車を呼んでしまった”という後悔と、“これでこの苦しみから逃れられる”という期待、そして“とんでもない金額が後から請求されるかもしれない”という恐怖で、私の頭の中はぐちゃぐちゃだった。

しかし、もうここまで来たら引き返す事は出来ないし、後は救急隊員やこの先の病院に身を委ねるしかないと覚悟を決めたが、ここは日本ではない。

“救急車が来たんだから、後はどうにかなるだろう”とあまりに楽観的に考えていると痛い目に遭うのは勿論、このイタリアという地に於いては、私は明らかに“外国人”という存在であるということを忘れてはならないのだ。

救急隊員らは問診票のような用紙にメモをとり、意識が朦朧としている私でも、この緊迫感のある張り詰めた空気が部屋中に充満している事だけは理解が出来た。

そして私は、バタバタと人が走る足音だけを聞きながら担架を待っていたのだが、何故か一向にその気配はない。

すると、一人の救急隊員が如何にも迷惑そうな表情をして、私の横で「どうせまた中国人がインフルエンザになっただけだろ。」と溢した。

そして、彼は私に向かって「悪いけど、自力で歩いて救急車に乗ってくれ。さぁ、立って。」と冷え切ったように無表情で言うのである。

「お前正気かっ!?」と、そのあまりの態度の悪さに、私を含め周りにいた皆が同じことを思い気分を害したが、正直私はそれどころではなく、結局イタリア人の家主と日本人女性の腕を借りてどうにか玄関前に停まっている救急車に乗り込んだ。

そして、力尽きるようにして車内の患者用ベッドに倒れかかろうとしたその時、またその救急隊員がやって来て「このベッドには横にならないで、君はここの椅子に座ってシートベルトをしてくれ、いいな。」と言うのである。

幾ら国が違うとは言えど、救急車を呼ぶほどの事態で敢えて患者用ベッドは使わせず、わざわざ付添人用の椅子に座らせるというのは、誰が見ても明らかな嫌がらせであった。

緊急を要する緊迫した雰囲気の中、やっと出発出来るかと思いきや、今度はもう一人の救急隊員が「あっ、さっきの問診票を部屋に忘れてきた!俺取ってくるわ!」と言って救急車を降り、悪びれもせずに呑気に部屋へと戻っていくのである。

「早よせんかーっ!!」と思わず突っ込みたくなる彼らのマイペースさにイライラは倍増し、彼らの何気ない一つ一つの言動にとても悲しさを感じた。

そして、忘れ物を取りに行った救急隊員がやっと車に戻りエンジンをかけると、今度は運転を担当する救急隊員が此の期に及んで“Japoneseeeeee~♪(日本人〜♪)”と、笑みを浮かべて歌いながら運転を始めるのである。

「何やねんお前らーーーー!」と、当時の私にもし力が残っていたらとっくに殴りかかっているだろうが、勿論その時の私にそんな体力や気力がある訳もなく、苛立ちで満ちた表情でどうにかこの痛みと怒りを耐えるしか方法は無かった。

正直、私よりも付き添いの日本人女性の方がこの救急隊員たちにブチ切れそうになっていたが、彼女は私に「イタリアの救急車は無料で、救急隊員もボランティアが多いの。すごく腹立たしいけど、ここで変に私たちが不満を言って向こうの機嫌を損ねると、病院をわざとたらい回しにしたり嫌がらせが今よりも悪化するかもしれないから、ここは無事に搬送先の病院が見つかるまで頑張って堪えてね。」と言って手を握ってくれた。

そして、私は彼女の言う通りに怒りを隠して静かに搬送先の病院が見つかるのを待ち、心の中で彼らのこの一連の行いを一生許さないと誓った。