イタリアの救急外来の医療現場

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空かないベッド

私は、不幸なことにあまりに酷い救急隊員に当たってしまい先が思いやられたが、運良くミラノ市内にある病院が搬送を受け入れてくれるとの事で、私を乗せた救急車は急いでその病院へと向かった。

日本でも時々耳にするが、イタリアでも今回のような救急搬送の際、残念なことに病院のたらい回しが頻繁に起こるようで、そこで命を落とす人も少なく無いという。

そして、それはイタリア在住の日本人でも勿論例外では無いらしく、比較的早く受け入れ先の病院が見つかった私は非常にラッキーだった。

病院へ到着するや否や、重症患者であろう私を救急車まで歩かせた挙句、何故かベッドには寝かせず付添人用シートに座らせて救急搬送する鬼の救急隊員は、この私に最後の止めを刺すかのように、「さぁ、自力で降りて歩いてくれ。」と、またもや痺れるくらいのドS発言を放ち、私は最後の力を振り絞って救急外来の入口へと向かった。

イタリア人の家主が気を利かせて車椅子を借りて来てくれたので、私は直ぐに腰を下ろして少しでも痛みが和らぐ楽な態勢を探したが、その車椅子は今にも壊れそうなくらいにギシギシと音を立てて軋む上に、何故か海外のくせにLCCのシート並みに椅子の横幅が狭く、私はどうにかお尻を押し込めて不自然なくらいに背筋を伸ばして姿勢を正すしかなった。

そして、受付に向かうと先ずは脈拍や心拍数を計り、指先で行う酸素濃度のチェックや簡易的な血液検査をされた。

日本の救急外来のシステムは分からないが、イタリアでは受付でのこの簡易的な検査の結果次第でA・B・Cという重症度によって診察順をランク付けされるシステムだった。

結局、私はこんなにも辛く痛々しい状態であるにも関わらず、受付での簡易検査によって“そこまで病状が悪くないだろう”と判断されてまさかのB判定をくらってしまい、名前が呼ばれるまでひたすら廊下で待ってくれとの事だった。

こうして私は、そのまま車椅子に座り他の患者と同様にただ診察室に呼ばれるのを待つしかないのだが、この待機時間だけでも私の病状はひたすら悪化していくのであった。

どんどん強くなるあまりの腹部の痛みと辛さに、車椅子にさえ座っていることも出来なくなった私は、最終的に徐々に前に倒れ込むような形でお腹を抱え、廊下を通る看護師に他の人の邪魔にならないようにするから、お願いだから廊下でいいから寝かせて欲しい!」と、決して綺麗とは言えない廊下の床を指差して頼み込み、同じ廊下で診察を待つ患者たちから冷たい視線が集められた。

此の期に及んで“他の人の邪魔にならないように”とわざわざ言ってしまう辺りが如何にも日本人らしいのだが、そんな状態の私に看護師は「ダメよ。危ないからちゃんと座って!」と、まるで泥棒猫を扱うかのように私の首根っこを掴み、前屈みになった私の身体を無理矢理と起こした。

すると、年老いた男性ドクターが偶然私の目の前を通り過ぎ、彼は私のこの普通ではない状態を察して、直ぐに私の下まぶたを下に引っ張り私の目の色を確認した。

すると、彼は急に慌てたように周りの看護師達に「何故彼女を優先しなかったんだ!急いで奥のベットへ連れて行け!」と大声で叫び、私はやっとの思いでべッドに横たわることが出来た。

救急車を呼んでも担架で運んでもらえずに歩かされ、救急車内でもベッド使用禁止令を出され椅子に座らされ、病院に着いても車椅子に座らされて拷問続きだった私にとって、身体を横にするという体勢は、それだけでもまるで天国のように身体が楽になった。

そして、あっという間に点滴が施され、その日はとりあえず検査入院となった。

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イタリアの教え「何事にも期待するべがらず」

とりあえず一晩入院となった私は、付き添ってくれた方々に一先ず感謝を伝え、彼らは「また明日も来るからね。」と言い残して帰って行った。

異国の病院で一人で入院するのは正直心細く不安だったが、治るか分からない原因不明の痛みを自宅のベッドで耐え続けるよりは、こうして無事に病院に来て横になれているだけでも状況は良くなっていると思った。

すると、看護師が車椅子を押しながら私の部屋へとやって来て、イタリア語で何か私に話しながら椅子に座れと言った。

何が何だか状況がよく分からないまま、私はとりあえず言われるがまま車椅子に座り、自分の荷物を全てベッドに置いたまま病室を後にした。

ほんの少しの間でも横になれた事と点滴が効いたのか、さっきまではあやふやで天井を眺めるだけで精一杯だった私の意識はしっかりと戻り、行き先もよく分からぬまま案内された病院内はとても広く非常に複雑な迷路のような構造だった。

そして、小さな病棟探検はあっという間に終わり、最終的に車椅子が止められたのはレントゲン室の前だった。

そこで、名前が呼ばれるまで待つようにと言い残して看護師は去って行き、私は再び薄暗いレントゲン室の前で一人ぼっちとなった。

病院内は怖いくらいにとても静かで、非常口用の緑色のライトがジリジリと音を立て、私はただ忠犬ハチ公のように誰かが私を呼びに来るのを待った。

時は刻々と過ぎ、それからなんと1時間半が経過しようとした頃、やっと私の名前が呼ばれてレントゲン室の中へと案内された。

さっきの静かで薄暗い廊下とは違い、レントゲン室の中は真っ白で眩しいくらいに明るく、私の担当のレントゲン技師は笑顔がとても素敵な女性の方だった。

今回は、胸部や腹部などのX線写真を撮影するという事で、私はX線用の大きく硬いベッドに仰向きになって横たわり、彼女はそれを確認するとガラス張りの隣の部屋へ移動した。

そして、いざ撮影開始となり、私は彼女を見つめて指示を待っていると、ガラス越しに彼女は何やら大声で私に何かを叫びながら合図を出してきた。

しかし、これが恐ろしいくらいに全く意味が分からないのである。

彼女は続けて“Respiro!! Trattenga!!”と、謎のイタリア語を叫びながら、こちらに向かって手をぶんぶんと振ってくれるのだが、分からないものは分からないのである。

そして、彼女が一所懸命になればなるほど、それが少しも理解できない私は申し訳なくなってしまい、眉毛を八の字に傾けた。

そのあまりに分かりやすい私の表情を見た彼女は、苛だつどころか何故か大爆笑しながら私の元へとやってきて、今度は“Respiro~!! Trattenga~!!”と、先ほどと同じ言葉をひたすらゆっくりと繰り返しながら、その言葉に合わせて身振り手振りを使って私に伝えようとしてくれた。

日本でX線のレントゲンを撮った経験がある方なら既にお分かり頂けるだろうが、胸部や腹部などのレントゲンを撮影する際、診察したい部分をより大きく写し出す為の特別な呼吸法というものがある。

彼女はどうやら、先ほどから私に「息を吸って〜、止めて!」という幼稚園児でも分かるくらい簡単な呼吸の合図を、イタリア語が全く分からない私に必死に伝えてくれていたのであった。

彼女の言葉をやっと理解できた瞬間、私は「I see!!(分かったー!!)」と思わず叫びながら目を真ん丸にして喜び、その余りにスッキリした私の表情を見た彼女は、最高の笑顔で指でOKサインを作って私に見せた。

こうして、無事にレントゲンを撮り終えた私は再び車椅子に乗せられて、さっきまで私がいた救急外来のベッドとは違う入院用の病室へと運ばれたのだが、それを知らずに先ほどと同じベッドに戻れるものだと勘違いしていた私は、先ほどの場所に自分の荷物を全て置いてきてしまったことを思い出し、一気に青ざめた。

看護師は「心配しなくても大丈夫よ!あなたの荷物は私たちが移動するから!」と明るく言ってくれるものの、海外に於いてこのようなシチュエーションで生まれるラテン系の「大丈夫」は全くと言っていいほど当てにならい。

結局、その後に財布や携帯などの貴重品が入ったバッグは約束通り持ってきてもらえたのだが、お気に入りのストールだけが見つからない。

1月の寒い冬の時期だったこともあり、私はカシミア100%の白い大判ストールを持参して先ほどのベッドで使っていたのだが、何故かそれだけが無いのである。

安物のブランケットなら諦めもつくが、それはなんと約10万円もする高級カシミアストールだった為、私はそう簡単に諦める訳にはいかず、病人とは思えないほどに急に血相を変えて「絶対にさっきの部屋に白いストールがあるから持ってきて!あれはとても大事な物なの!!」と必死に看護師に伝えた。

すると、彼女は「あら、それは大変!分かったわ。あとでもう一度必ず確認しておくわね!」と笑顔で部屋を出て行った。

しかし、彼女の昨日のあのストール探しへの協力意欲はどこへ消えたのか、結局次の日に「あれからまた探してみたけど白いストールなんて無かったわよ。」とあっさり言われてしまうのである。

簡単に信じてはいけないラテン系の「大丈夫」とはまさしくこの事であった。

明らかに病院内での何者による犯行だったが、日本とは違い、基本的に“失くしたものは出てこない”という海外常識を痛いほど思い知ったと同時に、あえてカシミアの高級ストールを盗むあたりに“さすがイタリア”と感嘆しながらも妙に納得したのであった。