入院生活の中で知る「イタリア」

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謎の飲み物「テ」

ミラノ市内の病院に緊急入院をしてからというもの、何日経っても自分の病名は未だによく分からず、とりあえず搬送された時には、既に肝臓と腎臓が炎症を起こしてパンパンに腫れ上がり、あと少しでも病院に来るのが遅かったらかなり危険な状態だったという。

あの時、もし救急車を呼ばずに、あれからもずっと自宅のベッドで痛みを我慢していたと考えると末恐ろしい。

そして、相変わらず私の入院生活での唯一の楽しみは「食事」である。

昨日の朝は、イタリア人のおばあちゃんからコーヒーをもらった後、私は“朝食”だけを生きる希望にひたすら待ち続けていたのだが、その後も私の元に朝食が運ばれることはなかった。

そして、それが治療の一環なのか、ただ単に朝食を忘れられているだけなのかが分からなかった私は、とりあえず今日も来るかどうかも分からない朝食を待つことにした。

すると、カタカタと聞き覚えのある廊下を走るカートの音が聞こえてきたのでふと顔を上げると、またもや昨日のおばあちゃんがやって来た。

そして、おばあちゃんは再び笑顔で“Vorresti caffè o tè?”と言いながら私に向かって紙コップを見せた。

私はこの昨日の出来事と全く同じ展開に、思わず「出たよ!謎のカフェオテ!!」と思いながら、カフェの後に続く”o tè(オ・テ)”の存在が気になって仕方がなかった。

すると、おばあちゃんは2つの紙コップを、両手に一つずつ手にとって腕を高く上げ、“caffè(カッフェ)”と言って右手の紙コップを振り、“tè(テ)”と言って今度は左手の紙コップを振って見せた。

名探偵・窪ゆりかは、ここで初めてこの朝のイタリアンおばあちゃんによる恒例ドリンクタイムが、2択制度であるという事を知ったのである。

基本的に好奇心と冒険心が人一倍強い私は、昨日頼んだコーヒーとは違う謎の飲み物「テ」がどうしても気になってしまい、試しに“tè!!(テ!!)”と頼んでみると、おばあちゃんはまるで、孫にお茶を煎れるかのような暖かい眼差しで小さな紙コップにゆっくりと注ぎ、湯気が立ち上る噂の「テ」を渡してくれた。

カップの中を覗き込むと、その謎の飲み物の色は濃い麦茶のような茶色をしていて、鼻を近付けるとほんのりと華やかな香りがした。

そう、この謎の“tè(テ)”は“tea(ティー)”。即ち紅茶のことだったのである。

迷宮入りしていた謎のドリンク「テ」事件はこれにて無事に解決し、おばあちゃんは再び私のテーブルに粉砂糖とプラスチックの小さなスプーン、紙ナプキンを置いて笑顔で次の病室へと消えていった。

そして、今日も私の元に朝食が運ばれる事はなかった。

おばあちゃんの愛と賄賂

それからと言うもの、朝だけでなくお昼も暖かな飲み物を病室に届けてくれるイタリア人のおばあちゃんと少しずつ仲良くなっていった私は、ある日の朝、いつも通りに紅茶を頼んだ後に「朝食はないの?」と何かを食べるようなジェスチャーを彼女に見せた。

すると、おばあちゃんは“Non, non!!”と言って人差し指を振って、急にペラペラとイタリア語を話し始めた。

私は、“Non, non!!”のその後に続く彼女のイタリア語がどんな内容なのかは分からなかったが、とりあえず「朝食はない」という悲報だけは理解が出来た。

その後、イタリアに住んでみて知ったのだが、イタリアには日本のような“一日三食”といったしっかりと朝食をとる文化はなく、朝はエスプレッソやカプチーノなどのコーヒーに、小さくて甘い菓子パンをかじる程度で済ませる事が多い。

「そんなに少なくてお腹空かないの?」と思う方も多いだろうが、イタリアの朝食が軽いということにもちゃんと理由があり、その理由はイタリアの夕食にある。

イタリアでは基本的に、先ず夕方の5時から8時くらいまで“aperitivo(アペリティーヴォ)”という食前酒(ハッピーアワー)の時間が設けられ、バールや居酒屋などでお酒を片手におつまみを楽しむ事が多い。

お酒一杯でおつまみ食べ放題というお店も非常に多く、値段は大体€8~€15でかなりお得だ。

しかし、これはあくまでも食前酒の時間であり、本番のディナーはその後から始まるのである。

アペリティーボの後、大体夜の8時半や9時といった比較的遅い時間帯から始まる夕食では、美味しいワインと共にパスタやピッツァ、お肉料理やシーフードなどのこれまたヘビーな食事を、仲の良い友人や家族と一緒に賑やかにゆっくり時間をかけて楽しむ事が多く、一日の食事の中で夕方以降の食事の比重が大きいイタリアにとって、朝食を軽く済ませるというのはごく自然なのである。

入院期間中、「食事」だけが唯一の楽しみだった私にとって、このイタリアの“朝食無し文化”は予想以上に辛く、あまりのショックに途方に暮れた私を見兼ねたおばあちゃんは、エプロンのポケットから何かを取り出し、私にこっそりと手渡した。

彼女は、私に近付き「これは誰にも内緒よ!」と人差し指を口の前で立てた後、“signorina(シニョリーナ)”と言って優しく私の頭を撫でながら一度だけ微笑み、静かに部屋を出て行った。

おばあちゃんから手渡されたものを見てみると、それはパンのおまけに付いてくるような小さなイチゴジャムだった。

彼女はあまりにお腹を空かせた若い私を哀れに思ったのか、周りに内緒でジャムを分け与えてくれたのである。

当時、病院ではフルーツ以外の甘いものが病院食として出ることは一切なく、お見舞いでも食べ物を受け取ることが出来なかった私にとって、白砂糖で煮詰めた甘いジャムは最高のご褒美だった。

そして、それ以降、誰にもバレないようにこっそりと蓋を開けて指でジャムをすくって食べる瞬間が、入院生活で最も幸せなひと時となった。

こうして、私は紅茶とジャムをきっかけにイタリアのおばあちゃんととても仲良くなり、おばあちゃんはいつしか私の親戚と化した。

彼女は、それから毎日私をまるで本物の孫のように可愛がり、いつも冷え切った私の手や足を握って温めてくれたり、時には私の顔を手で包み込んでくれたりして、最後には必ず小さなフルーツジャムを内緒で渡してくれた。

最初は1つだけしかもらえなかったジャムは、おばあちゃんの愛ある計らいによっていつしか2つに増え、私は誰にも見つからないようにベッドの布団に隠れて朝に1つ、そしてもう1つはお腹が空いた夜中にこっそり食べるという新たな習慣が出来た。