上げてから下げる
以前、レントゲン後に初めての病院食として、酷く不味い白いスライム定食を食べ終えた私は、まさかこのスライム定食が退院する日までずっと続くのだろうかと恐怖に怯えていた。
胃に負担をかけまいと気を配られた品々のせいで、食事中はほぼ咀嚼する必要がなく、それはまるで「飲む病院食」。
あまりの不味さにそもそも全部食べられない上に、どれも消化が良すぎるおかげで、私の胃はその後すぐ空っぽになってしまった。
そして、その後貧困状態に陥り翌朝の朝食だけを楽しみにしていた私の元には、一度だって朝食が現れる事はなかった。
しかし、その夜に早々と奇跡が起こるのである。
「どうせ今日もまた、あの美味しくないスライム定食か。」と、深くため息をついた私の目の前に、本日の病院食がやって来た。

急に豪華っ!!!!!
昨晩の離乳食から一転、どこぞの大手航空会社の機内食に匹敵するであろう、完全なる貴族の食事へと変貌するのである。
トマトリゾットに、プロシュート、マッシュポテトにパン、そしてりんごのピューレ。
イタリアに来て以来、ずっと調子が悪かった私はろくにイタリアらしい食事ができなかったので、この如何にもイタリアらしいメニュー構成に自然と心が躍り、どれを食べても非常に美味かった。
健常者にとってはこれすら不味そうに見えるのかもしれないが、極度の貧困状態で且つ永遠に地獄のスライム定食が続くと思い込んでいた私にとって、この状況は最早「天国」。
まさに、昨日まで灰かぶりだったシンデレラが、急にメディチ家のお姫様へと昇進したのである。
私は、あまりの美味しさとこの奇跡に感動しながらあっという間に完食し、明日からの食事がより楽しみになった。
そして、昨日の晩餐会に非常に満足した私の、次の日のディナーはこちらである。

あれ…?微妙に降格してないか…?
昨日のプロシュートの肉肉しさとトマトソースの色鮮やかさは消えて無くなり、本日のメニューは、ズッキーニのソテー、塩茹でしたよぼよぼのチキン、味のしないペンネ、オレンジ、そしてグリッシーニと言われるイタリアのクラッカーというラインナップで、どれもパッサパサなのである。
出だしのシンデレラに戻ったとまではいかないが、見た目的にどことなく哀愁漂う質素なメニューで、「旨味」という4つの基本味の上を行く第5の味覚を知る、非常に繊細な舌を持つ日本人の私でさえ感じることの出来ない塩気。
ほんの少しのオリーブオイルと塩だけを使った、良く言えば「素材を生かした(そもそも素材も良くはないが)」、悪く言えば「貧相」という、言わばメディチ家のお姫様用ではなく、そのお姫様にお仕えする人のメニューへとたった1日で降格するのであった。
そして、昨晩に比べ明らかにテンションが急降下している私に対し、食事を配膳してくれる看護師は衝撃的な事を言うのである。
「ごめんごめん!私、昨日あなたに間違ったご飯出しちゃったんだよね!」
「あなたはまだ胃が回復してないから、こっちでした!(ニコッ)」
私は、患者の状態を忘れて消化の悪いメニューを間違って出した挙句、結局最後は必殺“てへぺろ”で誤魔化してしまう脳天気なイタリア人に呆気にとられ、あの貴族の晩餐会メニューから、突如庶民の通常メニューへと格下げされ生きる希望を完全に失い、途方に暮れた。
何故か嫌いになれないイタリア人
昨晩、衝撃の降格処分をくらった私は酷く落ち込み、お見舞いに来てくれた友達に僅かなユーロコインを握らせ、下の売店でチョコレートを買ってくるように指示をした。
そして、病室からは一歩も出てはいけないという忠告を無視して、友人と一緒にこっそり部屋を抜け出し自販機でコーラを買って飲むという、不良少女へと成長を遂げた。
小さな缶1本分のコーラを飲んで満足した私は、その後何食わぬ顔をして病室に戻りベッドに入ると、イタリア人のおばあさんが紙と鉛筆を私に渡してきた。
先ほどの悪行がバレて反省文を書かされるのかと思いきや、手渡された紙にはびっしりとイタリア語が書かれており、何やらチェック項目がある。

イタリア語は読めないが、パスタやリゾ、ハンバーガーやヨーグルトなどの単語から推測して、食べ物に関するアンケート用紙だということだけは分かった。
そして、書かれたイタリア語を頑張って読もうとする私を見兼ねて、用紙をくれたイタリアのおばあさんは一つずつ紙に書かれた項目を指差し、身振り手振りを使って説明してくれた。
どうやら、これは晩御飯のメニューに関するアンケート用紙らしく、なんと自分の晩御飯をこの選択肢の中から選べるという画期的なシステムだったのである。
日本の病院では、基本的に病院食でのリクエストなどは一切無く、常に病院側に決められたメニューが出されるというのが一般的なので、患者に食事の選択肢を与えるという考えは非常に面白いと感じた。
その後も、イタリア人のおばあさんは一切英語は話せなかったが、イタリア語で一所懸命私に話し続け、お肉のメニューの説明の時は、それぞれ豚や鶏などの鳴き声をわざわざ物真似して私に教えてくれた。
勿論、全てのイタリア人が必ずそうだとは言わないが、私の経験上、イタリア人は話す相手と使う言語が違って言葉が通じなかったとしても、決して直ぐには諦めず、イタリア語と一緒にお得意のジェスチャーを使って、自分の言いたいことや伝えたいことを一所懸命伝えようとしてくれる人が多いように感じる。
人と人とのコミュニケーションとは非常に面白いもので、例え話す言語が違って、互いに言葉が理解出来なくとも、「伝えたい」という強い気持ちがあれば、手や表情がその時の感情に合わせて自然と動き、全身を使って相手に表現しようとするし、結局“共通言語”が無くても最終的に伝わってしまうことも少なくないのである。
勿論、言葉が直ぐに伝わらないことが面倒だったり、翻訳機を使って話せばいいと思う人もいるだろうが、私は、世界共通言語の「英語」に代表されるような、相手と確実に分かり合える言語が無い人とのコミュニケーションがとても好きなのだ。
確かに、言葉が伝わりにくい分、時間も労力もかかるし非効率的なコミュニケーション方法かもしれないが、それは逆に“わざわざ時間と労力をかけてでも相手に伝えようとする”という、非常に人間らしい、心のこもった行為でもあり、私はそういったコミュニケーションにこそ心が動かされ、愛に満ちた気持ちになるのだ。
脳天気で、超が付くほど陽気でマイペース。私はそんなイタリア人の気質に何度振り回されようとも、彼らの熱い愛と優しさにいつも心が揺さぶられ、彼らを愛して止まないのである。
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