さらば入院生活、さらばナヴィリオ

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最後の晩餐

レントゲン後のスライム定食から、翌日突如豪華なイタリアン定食へと格上げを果たしたが、それが配膳ミスだったと言われて再び庶民の食事に戻された私の、それ以降の病院食は以下の通りである。

写真を見てお分り頂けるだろうが、前回の庶民の通常食モードから更に降格し、見た目はほぼ離乳食。

シャバシャバなスープに謎のペーストという、最初に出てきた真っ白なスライム定食にちょっと色がついた程度にまで落ちぶれてしまったのである。

毎日あの奇跡のトマトリゾットとプロシュートが食べたくて、病院食のリクエスト用紙の中に書いてある、一番それらしいチェック項目に間違いなくレ点を入れているはずなのだが、病院側が私の胃の事を配慮してなのか、その要望はことごとく却下され、私の希望を完全に無視した食事がやってくるのであった。

“最早、何のためのアンケート用紙なのか…。”と、病院側には届くことないこの私の切ない想いを秘めたまま、私は目の前に出された不味いご飯を仕方なく突っついて、夜中に小腹が空いたら引き出しに隠しておいた小さなチョコレートをこっそりと頬張った。

そして次の日の晩御飯がこれだ。

当時、私がもうやけくそになっている様子がこの写真からも読み取れるだろう。

「今日こそはトマトリゾットとプロシュート!」と願いながら、アルミホイルの蓋を剥がした途端に一面に広がる貧相な緑の風景。

昨晩と全く同じシャバシャバなスープに、味のしないインゲンのソテー、極め付けに入院後初の病院食で衝撃を受けた無味無臭のリコッタチーズが、ここにきてまさかの再登場なのである(アンコールした覚えは一切無い)。そして、何故か今日はフルーツ無し。

最早、一番最初の白いスライム定食を下回ったとさえ感じる晩御飯に対し、私は落胆しながら両手で自分の顔を覆い、この惨劇をフルフルと震えながら天を仰いだ。

そして、何と悲しいことに、私がほとんど手をつけれなかったこのオールグリーン定食が、私の入院生活での最後の晩餐となるのであった。

白より赤

次の日の朝、私はいつも通りお腹を空かせて目を覚ました。

看護師さんがカーテンを開けると、窓の外には綺麗な青空が広がっていて、2月とは思えないほどに暖かかった。

そして、カートで飲み物を配るいつものイタリア人おばあちゃんが来る間も無く、担当のドクターが颯爽と部屋にやってきた。

「調子はどう?」と言いながら私の腹部を軽く触った後、彼女は続けて「よし、退院して良いよ!後で診断書渡すから、そしたら自由に帰って!」と言って、突如退院の許可が発表された。

自分の病名が分からないまま急に退院許可が出たので、私は何のこっちゃ分からなかったが、明らかにもう痛みはない上に、不味過ぎる病院食のおかげで「食」に対する意欲も尋常じゃないほど回復していた。

その後、私はドクターから診断書をもらって、そこに記された結果を確認してみると「A型肝炎」であったことが判明した。

B型肝炎やC型肝炎なら笑い事では済まされないが、A型肝炎は慢性化することはあまりなく、汚染された生の魚介類や水から感染することが多いらしいのだが、今でもいつどこでA型肝炎に感染したのかは私にも分からず謎のままである。

検査の結果が無事に判明し少しスッキリした私は、約1週間お世話になった自分のベッドのシワを伸ばして綺麗に整え、今まで自分の事を心配をしてくれた方々に退院報告の連絡をした。

すると、入院中にシーツ交換や点滴交換をしてくれていた若い看護師たちが「退院おめでとう!良かったね!」と部屋までわざわざ顔を出しに来てくれた。

彼らが初めて私のカルテを見た時、「“クーボ”って名字なの?マジかよっ!」と言って興奮し、それ以降、彼らはいつも私のことを「クーボ、クーボ!」といつも大きな声で呼んで、私の名字をやたらと気に入ってくれた事をとても懐かしく感じた。

その後、彼らが何故「クーボ」であそこまで反応するのかと思い調べてると、イタリア語で“cubo(クーボ)”は“cube(キューブ)”。つまり、私は彼らからいつも「立方体〜!!」と叫ばれていたことが判明した。

私は下の名前が“Yurika(ゆりか)”で、イントネーション次第ではあるのだが、海外の方にとっては、それが何かが分かったり見つかったりした時の感嘆詞として使われる“Eureka(ユリイカ)”とも聞こえるらしく、私の名前はイタリア人からすると“Cubo Eureka(分かった!立方体だ!)”という名前になるという事実を知り、理由はどうあれ人から覚えられやすい名前は得だなと感じた。

そして、看護師たちは退院の身支度を終えた私を見送ってくれる気満々で、病室のドアの前で待機してくれているのだが、彼らは重要な事を忘れているのである。

そう。私の片腕には、とんでもなく太い点滴用の針が刺さったままなのだ。

私は、このイタリア人看護師たちの間抜けぶりに思わずズッコケそうになったが、「ははは!そうだそうだ!すっかり忘れてたわ!」と大笑いしながら、直ぐに対処してくれる彼らが大好きで堪らないのである。

何というか、「好き」という感情というよりは、どちらかと言うと「憎めない」という感情に近いのかもしれない。

こうして私は、退院の書類にサインをして、この思い出深い病院を後にした。

そして、気になる入院費用なのだが、あの時のとんでもなくタチの悪い救急隊員が、幸運にも私立病院ではなく公立病院に救急搬送してくれたおかげで、奇跡的に私の治療費はなんと無料となり€1たりとも払う事はなかった。

A型肝炎で特にオペもせず、特別な薬なども必要無かったとはいえ、病院で約1週間も入院してレントゲンなどの様々な検査をし、ちゃんと病院食まで付いてきて治療費がかからない事には驚きだったが、逆にこれがイタリアの税金で賄われていると思うと、外国人である私の心は少し痛んだ。

私は最早、「イタリアに命を救われた」と言っても過言ではなく、この国に非常に感謝している。

その後、私はイタリア人の家主が待つナヴィリオの自宅へと帰り、初めてこの家に来た時と同様に、彼は私を優しく出迎えてくれた。

そして、飼い猫のGattoも私の元へやってきて、まるで私の帰りを待っていたかのように直ぐに私の右足に身体を強く擦り寄せた。

その翌日にこのナヴィリオの家を出て、友人と一緒にミラノ市内の違うアパートメントに引っ越しする事になっていた私は、つい1週間前まで自分が寝込んでいた寝室へと戻り、今までの短くも長い思い出を一つ一つ振り返りながら、部屋の掃除と荷造りを始めた。

すると、何かの気配を感じ取ったGattoは私のスーツケースに乗って横たわり、別れを惜しんでかパッキングの邪魔をしてくれた。

そして、私がせっせと部屋で荷造りをしている最中、イタリア人の家主は最後のディナーの準備をしてくれていた。

ようやくパッキングがひと段落してから、家中に漂い始めるいい香りに誘われてダイニングルームに行くと、テーブルにはいつも通り色鮮やかなテーブルクロスが広げられ、その上に真っ赤なトマトパスタがやって来た。

前回、まさかこの同じテーブルで「悲劇のパスタ・ビアンカ事件」が起きたとは思えない程、体調もバッチリ回復して元気になった私にとって、彼が作ってくれるこのトマトパスタは最高のご馳走となり、彼とGattoと一緒に囲む食卓は、人生で最高の思い出となった。