セックスの誘いを論理的に断ったら余計拗れた話〜第一次ロシア大戦【前篇】

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ミラノを歩く

 これはある暑い夏のこと。イタリアへと一人旅の最中、日差しが痛い程に眩しいミラノのブレラ地区を歩いていた時のことだった。アートとファッションの発信地とも呼ばれるブレラ地区は、ミラノの中でも街並みがとてもシックで、古くからのイタリアの歴史を肌で感じさせてくれる、ミラノで一番のお気に入りエリアだ。

細い石畳みの小道の両脇には、年季の入った石造りのアパートが聳え立ち、東京のコンクリート建築ばかりを日頃見ている私にとって、この石造りの建築はどこか温かみがあり、不思議と安心感を覚えるのである。道が狭いせいで少々アパートの圧迫感は否めないが、幼い子供が狭く薄暗い押し入れを秘密基地にするかのように、私もその窮屈感に幼少期の心地良さを思い出した。

 その日は、日中の最高気温が40°Cを超えるという記録的な猛暑日だった為、私は日陰を探して伝って歩いていたのだが、あまりの暑さに結局根負けしてしまい、偶然目の前に見えたカフェへと駆け込んだ。

ランチの時間帯がとっくに過ぎていた事もあり、お客さんの数は疎らで、店内はそこまで混雑している様子はなかったが、私が偶然駆け込んだお店は「Ristorante Nabucco/リストランテ ナブッコ」という、1970年創業のミラノの郷土料理が楽しめる有名なイタリアンレストランだった。

遠くからスタッフに目で合図を送りテラス席に腰を下ろすと、店内から中年のおじさんスタッフが笑顔でやって来るなり、私のテーブルの上にそっとメニューを置いてこう言った。

「暑いでしょ?このテラス席は一応屋根はあるけど、流石に今日は傘をさした方がいいね。ちょっと待ってて!」

そして、彼は私に日差しが当たらないよう、わざわざ店の奥から日傘を持ち出し素早く設置してくれた。あまりに素敵な心遣いに、既にこの時点で彼へのチップが跳ね上がることが決定した。

当初の予定では、暑さを逃れる為に少しだけ喉の乾きを癒したいだけだったが、このレストランのあまりの居心地の良さに、私はキンキンに冷えたレモネードと共に、当店おすすめのパスタを頂くことにした。

 そして、テーブルに運ばれてきたナブッコ自慢のパスタは、“Pappardelle al ragù di “luganega” e profumo di tartufo/ルガーノ風ソーセージのラグーソースのパッパルデッレ(平打ちロングパスタ) トリュフ風味”

テーブルに置かれた瞬間にトリュフの豊かな香りがふわっと立ち昇り、まるできしめんのように太い麺をフォークに絡ませ口へと運ぶと、肉肉しく深い味わいのラグーがじゅわっと口一杯に広がり、その後を追いかけるように爽やかなトマトの酸味が全体を包み込んでくれるのだ。そして、時折感じられる少量のパルミジャーノチーズがとても良いアクセントとなっている。私は、そのパスタのあまりの美しさと美味しさにすぐに完食するのが惜しくなり、思わず食べるペースを徐々に落とした。

すると、私のテーブルを担当していたおじさんスタッフが、先ほどとは全く違う非常にカジュアルな服装で店内から出てきた。どうやら、彼は自分の仕事を終えて今から自宅に帰るらしい。彼は、他のテーブルの常連さんと何とも楽しそうに少しだけ世間話をした後、私の元にもやって来て「パスタはどう?美味しいでしょ?ゆっくり楽しんで行ってね!」と言って最高の笑顔を残し、グレーのハンチング帽を深く被りながら去って行った。

秘密兵器「スカウター」が発動する時

 先程までの強い日差しは徐々に高度を下げて暖かな色を纏い、額に滝のように流れていた汗がやっと止まった頃、私は再び立ち上がり店を後にした。この時、誰かが私をずっと見ているような気配を感じたが、大好きなこの街に高ぶる心を抑えきれない私は、そんな事に構う事なく次の場所へと向かった。

そして、再び石畳でゴツゴツとした細い小道を辿って少し大きな道に出ると、目の前に「ブレラ美術館」が現れた。

大きく暗い重厚感のある門をくぐると、その先には眩しい程に美しい中庭が一面に広がり、カノーヴァ作のナポレオンI世のブロンズ像が静かに立っている。ずらりと連なる巨大なアーチを通り抜けて吹き込む風が、私の熱くなった肌を爽やかに冷やし、この心地良さを少しでも長く感じていたくなった私は、日陰にあった石で出来た細長いベンチに腰を下ろした。

すると、その場に偶然居合わせた一人の男性と一瞬だけ目が合った。海外に滞在している時は、基本的に誰かと目が合うと、例えその人が知らない人でも笑顔を見せるようにしている私は、彼に向かってそっと微笑んだ。これは決して『男を落とす必殺テク』とかではないのだが、その男は何を勘違いしたのか、私に微笑み返しながら何故かこちらに向かって歩き始めたのである。

「これはめんどくせぇ奴に微笑みの無駄遣いをしてしまった…!」と後悔した私は、何食わぬ顔で風のようにこの場から消え去りたかったが、先程渾身の営業用女神風スマイルをクリティカルヒットさせてしまった手前、今更そそくさと逃げる訳にもいかず、仕方なくこの私に今忍び寄ろうとする謎の男と対戦する羽目になったのである。

 あのベジータもびっくりの、外見だけでその人を瞬時に自動データ解析できるという「超高性能スカウター機能」を、自身の脳みそと眼球にW搭載している私の初見の予想は以下の通り。

  • 国籍:不明だが、恐らくヨーロピアン系(北米系ではない)
  • 住所:現地人ではない
  • 年齢:40代半ばから後半
  • 収入:装いと雰囲気からして悪くはない
  • 顔:タイプじゃない of タイプじゃない、つまりもの凄くタイプじゃない
  • 戦闘力:測定不能

私の視力は決して良いとは言えず、かなり近付かないと人の顔がよく分からないのだが、その男の顔が一歩ずつ私との距離を詰める毎に、私の乏しい視界は徐々にクリアになった。そして、それと同時にその男の顔が全然タイプでないことが明るみになった私のテンションは、端から期待していないにも関わらず急暴落して底値を記録。自慢の高機能スカウターは、戦意喪失したかのように静かにオートモードで電源を落とした。

 最早死んだような目をした私に向かって「Hi!!」と元気良く声をかけてきた彼は、西洋的なはっきりとした顔立ちながらも坊主頭にハンチング帽で、私は思わず「BEGINかっ!」っと突っ込みたくなる気持ちを抑えるのに必死だった。そして、そのまま目線を落としていくと、昔懐かしいブーツカットでダメージ加工を施したデニムに、つま先は尖った茶色いブーツという、ミラノでは決して出会うことのない歌舞伎町の鉄板コーデに、私はつい条件反射的に身の危険を感じた。

警戒態勢でこのレアキャラと一定の距離を保つ私は、そのあと英語でたわいも無い挨拶程度の会話を交わしながらも、どうにかタイミングを見計らってBダッシュで逃げ出したかったが、彼は私が日本人だと分かった瞬間、急に驚いた表情でこう言ったのである。

「日本人?マジでっ!?やっぱそうかな〜って思ってん!!!」

まさかの日本語ペラペラーーーーー!!!!(驚)

しかもゴリゴリの関西弁ーーーー!!!!(発狂)

よくよく話を聞いてみると、彼はロシア出身でここ2年ほど京都に住んでいるらしく、今回はバケーションでたまたまミラノに一人で訪れているらしい。そして、彼はこう続けた。

「っていうか、さっきナブッコのレストランにおらんかった?」

ひぃぃぃぃいいいい!!あんたエスパーかいなっ!!!(震)

どうやら彼は、私がお昼に休憩していたレストランに偶然居たらしく、別に私の後をつけたわけではないのだが、この場所でまた意図せず私と鉢合わせたのだと言う。私は、先程のレストランに彼が居た事など一切知らず、この一連の話を聞いても「ふーん、居たんだ。」くらいの冷めた温度感であったが、その横で彼はこの私との偶然の連鎖をどうやら「運&命」と見事に勘違いしたらしく、誰が見ても明らかに彼の瞳は六本木を彷彿とさせるギラつき方を見せて、テンションが急上昇している様子だった。

私の自慢の脳みそは、この「ロシア人×日本語ペラペラ(しかも関西弁120%)×頭部BEGIN×下半身歌舞伎町」という難解過ぎる情報を瞬時には処理し切れず、脳内パニックを引き起こしていたが、人間の慣れというものは非常に怖いもので、結局立ち話に花を咲かせた挙句「もしや…こいつは面白い奴かもしれん…。」と、私の脳みそはとんでもない錯覚を生んでしまうのであった。

こうして私たちは、とりあえず場所を変えてコーヒーでも飲もうという話になり、軽い気持ちで中庭を後にした。そして、当時の私は、まさかその後この謎の男との壮絶なタイトルマッチが待ち構えているとは知る由もなかった。いざ、ロシア戦へ…。

後編につづく

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